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転機

2023年02月08日

おはようございます、中阪です

前回どこまで話ましたっけ?

そうそう就職先を探したというところまでですね。

じつは僕、大学を卒業してから

夢前っていう姫路からさらに北側にあるところで

アパレルの会社に就職したんです。

僕のことよく知ってる人はわかると思うんですけど

あんまり、、、ファッションに興味があるわけではない

むしろ着回しがきく、とか

何にでも合わせやすい、とか

無難、なものとか

そんな感じなんですけど

どういうわけかアパレルの会社に入りました(笑)

一番の目的は「中国に行くこと」

で、実際にそのチャンスは入社半年で回ってきました

社長から「これ訳してくれ」と渡されたのは

中国の偉い人の伝記。サクセスストーリーを

翻訳してくれというものでした

で、それを辞書やその業種の専門用語とか

調べながら5人ほど翻訳したかな

そしたらすぐ人事異動が決まって

中国寧波という場所にある合弁工場に

駐在員として行くことになりました

この時がはじめての飛行機でした

出発の前日。

「これお願い」「これお願い」と

渡されたのは僕の肩くらいまでパンパンに詰められた黒いバック

それが3個

ハンドキャリーと言って

船や飛行機輸送だと間に合わない服のサンプルや

襟ネームや洗濯ネームなどの付属品。(重!)

「絶対検問でつかまるなよw」って

上司に言われてもう

はじめての海外なんて気分ではなかったです(笑)

しかもそこはタイムスリップしたような田舎でして

まだ、畑を耕すのに水牛が車道を歩いてました

朝、ランニングしてたら追いかけられたことも

あったんですよ、水牛に

だって、自転車乗るのにもヨタヨタのおじいちゃんが

リードみたいな紐二本握って

自転車こいでるんだから、、

走り出したら制御できるわけないやん!

そんで僕は横の田んぼにダイブして緊急避難ですよ

そしたら泥だらけの僕の横を牛は

平然と自分の小屋へと走っていきました

おじいちゃんはまるで孫に

「こらこら、そんなに走るでない」ってノリで

のんびり走ってるし、、、

まあ、そんな中国ライフでしたが

念願の?中国田舎ライフと

ズバズバ言いたいこと言ってケンカにもなるけど

人情あるいい人達に囲まれて

充実してやりがいのあるお仕事でした

でも、そんな時に

日本で震災がありました。

阪神淡路大震災

それで僕は会社を辞めて

聚鳳再建のため

日本に、春日野道に帰ってきたんです

もし、震災がなかったら僕は

そのままサラリーマンの一生を送ってたかもしれませんね

おっとかなり長くなってしまったので

今日はまたこの辺で

ほぼ雑談でしたが(笑)

中国に行ってから帰ってくるまでの話は

ここに書いてますので

また興味があれば読んでくださいね↓

神戸一、想いのこもったやきそば

「震災と焼きそば」というタイトルです^^

ではでは、今日はこの辺で

また、メールしますね^^

今日も一日。

はりきっていきましょうーーーーー!!!!!

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